私の初恋「ウォロフ語」
- mimomimo302919
- 2023年11月30日
- 読了時間: 4分
皆さんの初恋はいつだろうか。
私は高校1年生の冬、留学中にフランスで初めて恋に落ちた。あれは風が冷たくとても寒い日に、重いスーツケースを引きずりながら帰宅をする途中での出来事であった。駅に着いてホストファミリーに連絡をしようとしたら、さっきまで握っていたスマホが無いのだ。やってしまった。当時15歳、異国で1人スマホを無くしてしまうなんて。きっと誰かに盗まれたのだと思い、位置情報アプリでスマホの行方を追うとすぐに場所が特定できた。次の日早速街に出て、位置情報アプリに出てきた建物を訪ねた。ドアから出てきたのは、大きな体の黒人のお兄さん。最初はびっくりして引き返そうとしたが、せっかくここまで来たのだから絶対に取り返さなくてはと思い、彼に「私のスマホはここにあるんだ、知っているなら早く出してください」と強めに尋ねた。すると、思ったよりあっさり私のスマホを盗んだのは彼だと発覚した。よし、取り返して早く家に帰ろうと思ったその時、私は「ウォロフ語」に出会ってしまったのだ。スマホを盗んだ彼が友人とウォロフ語で話していたのを聞いて、気づかぬうちにすっかりその美しさに心奪われてしまっていたのである。

ウォロフ語との出会いの後、本当に色々なことがあった。結局、コロナという私の青春をぶち壊したウイルスのせいで、フランス留学も途中で打ち切りになり強制帰国。帰国しても、学校も部活もないし、大好きなプロ野球も見られないし、完全に人生詰んでいた。そこで、オンラインでセネガル人にインタビューをし、スマホを盗まれて出会ったウォロフ語という言語が一体どのような環境でどんな人が話しているのか調べてみることにした。最初はなんとなく暇つぶしで始めたが、気づいたら抜け出せなくなっていた。私が人生でここまでハマったのは、多分小学生の時のフランス語と中学生の時のプロ野球、そして「ウォロフ語」である。私はこのインタビューを通して、セネガルの言語状況やそれに関連する教育問題に気づくことができた。セネガルの公用語はフランス語なのだがその公用語であるフランス語を日常的に使うセネガル人は国民の数パーセントしかおらず、それによって情報格差や教育格差など多くの問題が引き起こされている。この事実を知った私は、ウォロフ語とフランス語をつなぐツールを作れば、このセネガルの問題を解決できるんじゃないかと思った。
そして私は、タイピングもできない状態から、ウォロフ語とフランス語の翻訳機(その後学習アプリの開発をすることに)の開発を目指すことになる。最初に「翻訳機 作り方」でググってみたが、専門用語ばかりで全然わからない。そうだ、わからないときは先生に聞けばいいじゃないか。そうして、まるで担任の先生に連絡するようなノリで機械翻訳やアフリカの言語を専門とする大学教授に1日に何本もメールを送りつけた。知識も経験もなかったが、溢れ出る熱量を持ってなんとか数名の教授に協力を得ることに成功した。今はあんなことできないなと思ってしまうが、当時の私が断られても返信が来なくても何度もアタックし続けるだけの驚異のメンタルがあったことだけはわかる。その後も、セネガル人の仲間やJICAや友達、全力で応援してくれる大人との出会いのおかげで想像以上のスピードでプロジェクトは進んでいった。

しかし、プロジェクトが進むにつれて私は「なんか違う」という漠然としたモヤモヤを抱えるようになった。セネガルのことをまだあまり知らないのにセネガルやセネガルの教育、言語について堂々とプレゼンで語る自分へのモヤモヤ、ビジネスの世界でやっていくには「違う」と思っていても、頷かなくてはいけないことへのモヤモヤ。色んな人に「若いのにすごいね」とプロジェクトの中身じゃなくて「女子大生がウォロフ語のアプリを作っている」という事実だけを褒められ続けることへのモヤモヤ。このまま、自信が持てる知識のないままセネガルの教育や言語について責任を持ってやっていける自信がない。もう一回セネガルについて、セネガル以外の世界の言語についても本気で学びたい、そんな風に思うようになった。そしてこれが私が言語の旅を始めるきっかけとなったのである。ウォロフ語と出会わなかったら、私は旅に出ることもなかっただろうし、こうして本気で1人でも多くの人に言語の魅力を伝えたいとも思わなかっただろう。
「ウォロフ語」は確実に私の人生を大きく変えてくれた。
Comments